「花も応(まさ)に老人の頭(こうべ)に上(のぼ)るを羞(はじろ)うべし」
こいは、佐賀の七賢人の一人、鍋島閑叟の即興の詩らしか。
幕末の激動の時代、攘夷か佐幕かで周りが揺れ動くなか、
ひたすら中立の立場を通しつづけた鍋島閑叟が、
桂小五郎から軍事支援をお願いされた時に語った言葉らしか。
幕末史上でも最大の開明家て言われよる鍋島さんばってん、
「幕末佐賀藩 改革ことはじめ」ば読んだ時には、
ほんなごて鍋島さんの大好きになった。
ばってん、この「アームストロング砲」ば読んで、さらに面白さのわいてきた。
いち早く西洋の文明ばとりいれて頑張った鍋島さんの陰に、
その過激な方針が故に犠牲になった人もおんしゃったとねーって。
表があれば、裏もある。
まぁ、本の内容を書きはじめると、司馬遼太郎先生のせっかくの秀作が
だいなしになってしまうごたっ気のすっけん書きません。
(とかいいつつ、実はうまく表現できんだけばってん・・・)
肥前の妖怪、アームストロング砲・・・・幕末の佐賀藩って
なんでこがん面白かとやろーか??
ますます虜になってしまった。
ちなみに、最初の詩の意味について、
小説「アームストロング砲」にあった一節を
引用させていただきます。
閑叟は「自分が大名でありながら家督をついで以来、商人のごとく
一文の浪費も惜しんで財をたくわえ、その財をもって営々と洋式軍を
育てあげてきた。自分の眼中、つねに幕府なく薩長なく、あるのは
欧米諸国の水準に佐賀藩がどこまで追いつくかであった。
しかしすでに老いた。疲れもしている」と言い、満山の花を見渡してから
「花も応に老人の頭に上るを羞うべし」という即興の詩を口ずさんだ。
花とは、かれの育てた佐賀藩軍隊であろう。それを自在に手折って
頭にかざせ、花も自分のような老人の頭にかざされるよりもふさわしく
思うだろう、という意味らしい。
こん時の閑叟のひとことで、官軍の勢力が一変して、歴史が変わったとかーって
にわか歴史ファンになったおいも、しみじみと感慨にふけってみました。




コメント (2)
ぢわ〜 雨ですね〜
「鍋島は一代かわし」、と名君の登場を表わした言葉があります。よく考えたら、鍋島藩は天下分け目の関ヶ原から登場し、そして再び、天下分け目の戊辰戦争まで14代続いているのですよね。実に平和な何百年を築いている間、同じ佐賀でも、唐津藩はスゴいことになってるわけですよ。鍋島藩系を読み終わったら、唐津藩に行ってみてください。今、同じ県であることが実に不思議なくらい面白いですよ。
佐賀出身在住の方は、自県の歴史を知らない方が多いですが、気質そのものが歴史だと、日本全国を転々としてきた私は思います。
日本人は恥の文化だといいますが、隠すことが文化だ、という鍋島藩。現在佐賀は、それを受け継いでいるのは確かです。隣の福岡県とはまるで違いがあります。でもそこが魅力でもあると、私は思うんですけど…どうなんですかね。
投稿者: もり | 2006年07月19日 20:48
日時: 2006年07月19日 20:48
じわぁ〜。関西も雨ダス。
「鍋島は一代かわし」
・・・ふっふっふ。既に勉強済みでっせ、旦那!
鍋島藩は、優秀な藩主とそうでない藩主が一代交代で出るって意味ですよね?
もりさんは、ほんとに佐賀の歴史に詳しかですよねー。
佐賀んモンも、頭の下がります。
おいの知識はまだまだ唐津まではとづいとらんです。
うちの近所に生家のある伊東玄朴さんの、意外にすごか人やったって事と、
近所の日の隈山が、佐賀藩の大砲の射撃場やったとば知ったぐらい。
なかなか神埼の域を脱せないでおります・・・。
>日本人は恥の文化だといいますが、隠すことが文化だ、という鍋島藩。
>現在佐賀は、それを受け継いでいるのは確かです。
確かに。幕末の佐賀藩の二重鎖国っていうとの、今もどっかに根付いとっと
かもしれんですねー。
日本国内に向けた観光は下手ばってん、世界バルーンフェスタみたいな
国際的な催しがあったり・・・。
今ごろになって、非常に興味深い県だって気づきました。
>気質そのものが歴史だ
これも納得。歴史が気質を培っていて、気質を見れば歴史がわかるという
わけですよね。
司馬遼太郎の「酔って候」を読んで、攘夷・佐幕の思想の原点が関ヶ原に
端を発しているのか?とか想像すると、これまた歴史が非常に興味深くなり申した。
唐津藩の歴史のお勉強に、何かオススメの本があれば教えてください!
投稿者: shu-z | 2006年07月20日 00:48
日時: 2006年07月20日 00:48